1911(M44)年に信越本線(横川~軽井沢)(→1997.09廃線)の電化用としてドイツAGE車から輸入された我が国初の電気機関車。最大長9550mm、整備重量46t、主電動機は420KW×2個搭載のスペック。
66.7‰という急勾配を通過するためラックレール(歯形レール)をレールの真ん中に敷きに機関車に取り付けたピニオン(歯車)を噛み合わせて登坂する「アプト式」が採用された。 また山をくり抜いて線路を建設し狭小トンネルが多く架空線電化方式が採用できないため第三軌条方式となり集電シューを備える。
その後、同じくアプト式のED40形、ED41形、ED42形が増備されていったが輸送力増強に耐えられず、1962(S37)年に複線化されたの新線に切り替えられ、架空線DC1500V電化方式、粘着方式のEF63形へ引き継がれた。
現在は1964(S39)年に鉄道記念物に指定され軽井沢駅前に1号機が大切に保管されている。